久我山に勤めている時に
今の妻と結婚しました、8月のお休みを利用して
射水市の櫛田神社で、暑い暑い中でした結婚式
来てくださっていた方が何でこんな熱い時にと苦情を
言われましたが、私たちの仕事は世の中の人たちの
間をくぐっていかなければサービス業は、成り立ちません。
親の死に目にも会えないよとよく言われました。普通のお勤めの方には
理解できないと思います。
父は私が24歳の頃に他界しておりましたので、この場にはいませんでしたが
内の妻は私の最初に出会うその日の朝に、父が夢枕に出てきたそうです。
その年に、今の高岡市に土地を求めて、支払いを始めていきました。
月100000円ずつ返済です。
それからはお店の図案作りの毎日と、毎月高岡の保健所やら
国民金融公庫(現政策金融公庫)にTELをして、いろいろ教えてもらいました。