ここで私が東京で大変お世話になった
母の姉で、新興宗教に入ったきっかけの木場さんを紹介しなくてはいけません
中野区新井町に結婚当初から住んでおり、夫は
やはり石川県出身で、幼い時に養子に入って木場を
継いでおられました。
叔母さんは15歳で、前田家の召使として駒場の御用邸に
努めていたそうです、前田利為公にです。
当時の支度金が、15円だったそうです。実家が破産したときですから
とても大金ですね。
叔父さんは、加賀屋というお米屋さんをしており、前田公の御用邸にも
納めていたそうです、
いつも叔母さんが当時のことを話すと、あなたのとこのお米は
三河屋さんのよりおぞいよと、罵り加減によく言っておりました。
それもそのはず、三河屋さんは新潟産のお米だったそうです。
叔母さんは、お子さんが、3人で女、男・男で、3番目の従兄が
私の2歳年上でした、従姉は元ミスはとバスの方でした。
お兄さんは東急アーバンの社長のおかかえ運転手でした、
そこに私は・・・・・・