第2弾
仕事の話です、中野に移ってからお店は
マスターが理容師で奥さんが美容師ですので
理美容室のお店になりました、今では違反ですが
当時私は、両方の仕事をしておりました。理容師が
ワインデングをするのは至難のことでした。カットはマスターに
今はケネスがいいですよと助言をしましたら、すぐにケネスヒスミのカット教室に
申し込みました。行動の早い方でしたね、生モデルを講習会のところに依頼すると
1回8000円かかりますので、私が行きつけのスナックでアルバイトをしている女の子に
お願いをして、毎週用意をしてくれました。彼女は池袋のデパートの内外織物の従業員でした
新潟の出身です。マスターが帰ってくると私がお店に5人モデルを用意して
私が教えてもらい、2人をカットし、マスターが3人カットするということを2年間続けました。
その時は従業員は私だけでしたが後にもう一人入ってきましたが入れ代わり立ち代わりで
ほとんど長続きしませんでした。理容のほうは中野で一番高料金でした、組合に入っていなかったですね。
組合からは当時嫌われていたと思います。
ここでの大変なことは、月に1度お店をワックス掛けを1人でするんです、3時間かかります。
私のあと誰がしたのかは知りません、あれは大変でした。
いつも帰りは中野行きの最終バスでした。11時の・・・・