とにかくよく働く母でした、ひと時もじっとしていないので
聞いたことがあります、なんでそんなに動くの?すると
帰ってきた言葉が、じっとしているのがもったいないと口癖の
ように言っていました。いなみに父も馬車馬のように働く人でした
そんなわけで我が家は瞬く間に経済的にも裕福ではないが
何とか回っていくようになったのです、母はとにかくどんなに少ないお金でも
定期を組む人でした。その定期のおかげで家まで建ってしまいました。
兄は3年足らずの大工の修行から帰ってきて家から、大工の仕事をしていましたが
給料はやれ新しいバイク、新しい軽四のバン、大工の道具と家にお金を入れている気配は
ありませんでした、父も言ってはいたみたいですが確執があるのでそれ以上は
言わなかったみたいです。結婚をしてからも兄嫁は紡績会社に勤めていましたが
給料は少なかったみたいです、父と母で稼いだお金が生活費になっていたそうです
家を建てた頃は、兄のお給料はすべて家の支払いに入ったそうです。
しかし支払いが終わった後でも、家にお給料を入れることはありませんでした。
58歳で脳こうそくで、仕事が出来なくなってからはもちろんのこと、むしろ何を
買うのかは知りませんが借金をしては、支払いの頃には母に無心を常にしていました。
その度に母は私に愚痴をこぼしていました、ただよく働く母でしたから土方はするやら
建築会社の経理はするやら、内職でも70歳を過ぎてからでもニットの断裁を
要領よくするので内職で1月9万円も貰っていました。お金があたわる人でした
84歳の頃にはあまりに無心をする兄に困っていたので、母に兄嫁に経済を
全て渡して、一銭もないよと宣言すればと言いました。それで
財布を全部預けて、お葬式台にともっていた定期も預けると、兄嫁は三日で全部使ってありました
孫の嫁の証言です。こんな有様ですみんな借金払いに使ったみたいです、
母はそれ以来認知症になりましたがとても幸せな顔をいつもしていて、畑に草むしりだけを
5年くらいしていました、ちょうどタケノコの時期に私にと掘ったタケノコを玄関に置いて
朝食を食べている時に、椅子から崩れ落ちて脳こうそくになり入院しました。
それ以来点滴だけで5か月入院して、9月23日朝亡くなりましたその間私は毎日病院に
見舞いに行って母と話をしていましたので、すっきりした気持ちでいっぱいです。
そして今はいつも私のそばにいて見守ってくれています。