なぜでしょうか、今私の母の事が思い出されます。
母はなくなる頃は仏様のような人でした、では生まれた頃から
穏やかな人生でしたでしょうか?違いますおそらく波乱万丈だったと思います
尋常小学校2年の時代に実家の網元が、破産しています。それからは
網置き小屋に生活をするようになっています、学校にも弟が耳が生まれつき
不自由だったため、おんぶして学校へ通い事業を受けていたそうです。
放課後は図書室で毎日本を読む日が日課だったそうです。だから
小学校しか出ていなくても、漢字は良く知っているし文を書けばうまい
詩集を残すくらいでした。母そのものも小学校時代に風邪をひいたときに
飲んだお薬が原因で物のにおいがしなくなったと聞いています。
母が高齢で少し認知がかった頃まで、毎日本を読むことが続いていたそうです。
こんな笑い話があります、従兄の家に遊びに母が言った時に、急に母が
私のパンツどこに行った?と聞くのだそうです。みんなは母のパンツ等は知る由もありません
すると母があったあったと言うので見てみると、それは平凡パンチだったそうです(笑い)
そんなひょうきんな塊の母でした。結婚して石川県のかほく市の大崎と言う所へ、行きましたが
3か月で硫黄島に戦争に行って玉砕で夫はなくなりましたが、その3か月の間に、洋画の映画を
2人でたくさん見たそうです。とても良い思い出だけが残っていたみたいです。
それから何年か後に私の父と再婚するのですが、そこからも波乱の連続です。