私は、組合の役員やら、ベルジュバンスの支部作りやら
シンポジューム・フォーラム・囲む会・おまけにラジオ生放送と
仕事のほかは、時折釣りをするくらいの忙しさでした。
子育ては殆んどが妻の役割でした。大変だったと思います。
私の役割は2歳の頃より、保育園の送り迎えを自転車でするくらいでした。
私はまだ車の免許を持っていませんでした、東京では必要がありませんでした。
妻には婚約指輪もありません、結婚指輪は妻が買ってくれました。とんでもない
夫ですね、それくらい金銭がありませんでした。子供が誕生してより一変しました。
生んでくれてありがとうのピンクダイヤの指輪、二人目でエメラルドの指輪、ピンクっぽい
真珠のネックレス、一連、二連と・・・ある時貴金属屋さんに一緒に来てくれないかと
いうので、行くとまんまとルビーの指輪やサファイヤの指輪をねだられました。
開店してから、また子供が小学校に上がってからは、妻は海外旅行に行くようになりました。
12月に行くというので、最初はだめだと言っていたのですが、言い出したら聞かない性格なので
しぶしぶ認めました、するとスタッフまでが行くというのでやむをえませんでした。
その時私ともう一人のスタッフで仕事をしましたが、私は倒れてしまいました。
無理だったのです。それからというもの50歳くらいまでに7回ほど海外に行きました。
最後のスペインで、帰ってきてから写真を見るとしゃがみこんでいる姿が見えました。
どうしたのというと、血圧が上がっていたそうです。それを機にいかなくなりました。というより
更年期に入っていたみたいです、仕事大好き人間が、私とお客様の頭の上でもこうなければなりません
と言っていたのが、鬱のようになりました。薬の副作用でパニック障害にもなりました。
お医者さんはあまりにも無責任な方が多いですね、世の中に数多くいらっしゃると思います。
体に入った薬を抜くために、精神科へ2か月入院をさせました。退院してからは、仕事の忙しい時のみ
手伝ってもらっています、性格が180度変わりとても優しい穏やかな女性に変わりました。
私は炊事・洗濯・掃除と仕事、町内の事など、一手にしなければなりません。妻はありがとうの人生が
始まりました。私は休日は畑にも行きますので毎日朝3時30分起きです。夜は21時に就寝です。